自立した大人ってどんな人だと思いますか?誰にも頼らず生きていけることが大人なのでしょうか。
社会人になるとお金を自分で稼げるので一見自立したように思えますが、「誰にも頼らず生きていけること」が自立の定義だとしたら、私自身本当に自立できていると言えるのか疑問です。
誰にも頼らず生きていけることも自立だとは思いますが、それだけではない気がします。少し自立の意味について考えてみようと思います。
自立の辞書的な意味は人の援助受けないこと
広辞苑によると、
他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。
これが辞書的な自立の意味です。他者からの援助や支配を受けずに自分の力で生活していくこと。
自立の対義語は依存
おそらく自立の対義語は依存でしょう。依存は広辞苑によると、
他のものをたよりとして存在すること
他者に頼って生活をしてをしていると依存していることになるらしい。誰しも歳を取って、体力が衰えてくると自分の身のまわりのことすらままならなくなります。そうなると辞書的には自立生活から依存生活に突入ということになりますね。
自立しているように見える大人でも必ず何かに依存している
辞書的に自立は人に頼らないこと、依存は他者を頼ること。では今の私は自立をしていると言えるのか。お金が自分で稼げるようになったから経済的には誰かに頼らなくて良くなりましたし、身体的にもおかげさまで健康で自立しています。
ただ、常に誰かの援助を必要としています。その誰かが知り合いかもしれませんし、顔の知らない誰かかもしれません。
誰かの作った家で、誰かの作った服を着て、誰かの作ったスマホを使い、誰かが整備した通信を利用する。そして誰かの作った車で、誰かの作った道を走り、誰かが作った病院を受診しています。
目に見えない「誰か」に依存しながら生きております。家だって、服だって、スマホ、道、車すべて私だけでは作れない。お金を払って「誰か」に援助してもらっています。
自立しているように見えて、誰かの援助がなければ生活できない。
私はコンタクトやメガネがなければ生活がままなりません。
毎日パソコン、スマホをいじるので5年ほど前からコンタクトをつけておりますが、コンタクトなしでは多分仕事もできないし、車の運転もできません。
もしメガネやコンタクトがない時代に生まれたとしたら、私は使い物にならないと思います。メガネという「誰か」が作った商品に依存することで何とか生活ができているのです。
メガネを使えば生活できるというのは、言い換えるとメガネを使わなければ生活できないという意味。まさしく依存をして生きていることになりますね。
自立した大人こそ、積極的に誰かに頼る。
もはや私は「誰か」への依存なくしては生活できない。では自立していないのかと言われるとそうでもない。
「自分の望む生活をするために、必要に応じて誰かの援助を借れる人」
これが自立しているということではないかと思うのです。私はできることよりできないことの方がはるかに多いので常に誰かに援助してもらいながら生きています。
依存というと悪い言葉に聞こえますが、依存してはいけないものがあるだけなのです。「ギャンブル」であったり、「薬物」などがそうです。依存するものを間違えなければ、恥ずかしいことではないと思います。
自分ができない部分は積極的に「誰か」の援助を受ける。そして「誰か」の援助ができるように自分自身も力をつけていく。これが自立した大人だと思います。