人によって友だちの多い人と少ない人、友だちとの関係性が深い人と浅い人など色々ですよね。
どちらが良いんでしょうか?
友だちが多ければ多いほど、繋がりが深ければ深いほど良いって思っていた時期もありました。
学生の人は友だちの輪の中心にいるような人気者が羨ましく感じる瞬間もあるんじゃないでしょうか。
僕自身はといえば、そんなに友だちが多い方ではありません。友だちと言われて思い浮かぶのは数名です。学生時代の友だちと会うのは年に1回あるかないか。
そんな僕でも無事に社会人になって生活をしています。
友だちとはなんでしょう?友だちの定義とは?
本を読むなかで印象に印象深かったこと、自分が感じてきたことをまとめてみました。
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友だちの定義
心の中を全部打ち明けれること?
友だちというと何でも話せるとか、思っていることを打ち明けられるみたいなイメージありませんか?
僕は友だちというとこんなイメージを持っていたんですよね。
こう思っているときって、自分が考えていることを誰かに話して「うん、うん、分かるよ」って認めてほしいだけだったりします。自分のことをわかってほしいというよりかは傾聴してほしいのです。
でも、そんな人っています?
みんな育った環境も違いますし、何を経験して、何を感じてきたかも違います。自分の全てを理解し、全てに同意はしてくれる人はそうそういないんじゃないでしょうか。
人間は多面体
人はあらゆる一面を持っています。
学校にいるときのAさんと家族と一緒にいるときのAさんはきっと違います。
先生と話すとき、親と話すとき、先輩と話すとき、仲の良い友だちと話すとき、憧れの人と話すとき・・・
人間は器用な生き物で、それぞれの場面で適した自分を表現することができるんです。みんな無意識のうちにやってます。
だから、友だちだからって全てを知っているなんてことはないんです。というかそれで良いんです。1~10まで全部知っているなんてちょっと怖くないですか?
知らないところがあるくらいでちょうど良い。ほどよい距離感が良い関係を保ちやすかったりします。
人生のほんの一部の時間を共有する相手
友だちの定義という大それたものではないですが、僕が思う友だちとはこんな感じのイメージです。
ほんの少しであっても気が合う部分があれば、話をしたりして時間を過ごす。
「面白かったなー」とか、「なんか話して気が楽になった」とかがあれば心がふわっと軽くなりますし。
それ以上は言いたいくないことは言わなくても良いとですし、「〇〇をしてほしい」とかも望まない。ただ、時間を共有するだけのほどよい距離感にいる相手が友だちだと最近思うようになりました。
ちなみにどこからが友だちかは人それぞれですが、僕が相手と友だちに慣れたなと思う瞬間は「何も話さなくても特に気まずさを感じない」ときです。
友だちは必ずいた方が良いのか
どうしても気が合う友だちが見つからない場合
友だちとは人生のなかの一部の時間を共有する相手です。友だちがいないと今後の人生やっていけないということではありませんので、どうしても気の合う人がいない場合は無理して作らなくても良いと思いますよ。
自分が一人でいたくないという理由で作った友だちは必要以上に心をざわつかせるだけですから。
1人でいたって尊敬される人は尊敬されますし、カッコいい人はカッコ良いんです。
心を許せる友だちがいない場合は1人でいた方が充実した時間を過ごせます。
それでも少しだけ話してみるのも良いかも
気が合わないから、全く会話もしないというものなんとなくもったいない気がします。
話してみると意外と気が合うなんてこともありますので、ほんの少しでも良いので話して決めるというのもありかもしれませんね。
友だちはよく見て選ぼう
付き合う人を見抜く力
人が人生で抱える悩みで大きいものは人間関係の悩みです。
自分の大切な人生の時間を悩みで埋めないためにも付き合う人は選んでいく必要があります。
避ける人だけ気をつける
避けた方が良い友だちの特徴です。付き合っても良いですが、トラブルに巻き込まれたり、自分の悩みを増やしてしまうかもしれません。
・暴力をする人
・嘘ばかりつく人
・約束を守らない人
・口が軽い人
・何をやるにしても不真面目な人
・男女関係にだらしない人
自分が心穏やかに過ごしたいなら、この特徴を持つ人と付き合うのは避けた方が良いです。
まとめ
友だちが多い人を羨ましいと思う時期があるかもしれませんが、自分が安心を得たい、1人でいるところを誰かに見られたくないからという気持ちで友だちを作ると後々の自分が苦しむことがあります。
もし心を打ち明けられる友だちが見つからない場合はひとりで自分の道を進むのも悪くないと思います。
自分の心が軽くなる道、充実した時間を過ごせる方を探してみて下さいね。
それでは、また。