妻が本当によく頑張ってくれ、我が家に子どもが産まれた。
元気な男の子だ。
今はコロナの感染対策で出産に立ち会うことができなかったけど、妊娠発覚から妊娠中の遠距離通勤、産休後の様子、陣痛の様子、入院してから分娩台に座った妻の姿など、ほとんど1年間側についていられた。
だから出産も倍嬉しいし、なにより人が一人産まれるということはこんなにも大変なことなんだと教えてもらった。
特に入院してから、分娩台に座り分娩に臨む妻からは「恐怖」と「勇気」の入り混じりった感情がヒシヒシと感じられ、まさに生きるか死ぬか。6年間一緒にいても見たことがない一面だった。
この日を忘れないようにと記録していたら、8,000文字を超えてしまった。
陣痛開始からお産までの流れを記載している。時間のあるときに読んで欲しい。
陣痛開始から入院まで
出産前日の夜。その日は妻の出産予定日前最後の検診だった。
木曜日だったので、僕はいつも通り仕事。
ここ1週間、夜の陣痛がひどくなってきている。僕は残業をせずに帰宅した。
夜は鍋。
いつもだったら食後に散歩に行ったりするんだけど、この日は散歩に行けないほど、陣痛間隔が短い。
妻は陣痛アプリから目が離せない状態が続いていた。
「もしかして今日あたり、入院になるんじゃないの??」と夫婦で話していた。
陣痛間隔が短くなり病院へ連絡
夜9:00頃。
陣痛間隔が10分を切っている。1回の陣痛も1分未満だったのが、1分を超え、明らかに長くなってきた。
「陣痛かな?それとも前駆陣痛(陣痛の前段階)かな?でも明らかに、これまでの感じと違うんだよな」
助産師の妻の友人に相談してみると、「一度病院に相談しても良いんじゃない?」とアドバイスをいただく。
病院に電話すると丁寧に状態を聞いてくれ、「入院できる準備をして、一度病院に来てください。何時頃来れますか?」とのこと。
時計は9:30を指している。病院から近いし、今から行けば22:00には行けそうだが、妻は何としてでもお風呂に入りたいと訴える。
「こんな状態で赤ちゃんと会いたくない。綺麗にしていきたい」
このときの妻は自分が汗や色々なもので、このあとドロドロになることをまだ知らない。
助産師さんと相談し、お風呂に入ることに許可を得る。2時間後くらいに病院へ行く約束をして電話を切った。
お風呂にも入り終え、準備も整った。
陣痛がひどく、車移動も一苦労
さぁ、病院へ。だが、陣痛のため車に乗るのも一苦労。
車へ行こうとしたら、痛みでその場にうずくまる。なかなか部屋から出られない。
車椅子があったら良いなと思った。
「次の陣痛が収まったら車へ行こう。あっ、陣痛来た!!うっゔぁぁぁ!!・・・・・・ふぅ、収まった。さぁ、今だ。行こう!!」
そろりそろりと、玄関から10m先にある車へ向かった。
病院に着いたら車椅子を借りた。とてもじゃないけど、病院内を歩くなんて無理だ。
車椅子を押すたびに、点字ブロックや段差の振動が妻に伝わり痛がる。
慎重に慎重に、押していく。
助産師さんが仏に見えた
無事に病院に到着したら、電話に出てくれた助産師さんが出迎えてくれた。
マジで、この時の助産師さんは仏様かと思った。
ベテランの助産師さんと、5年目くらいの助産師さんだったが、「痛かったね、大丈夫。あれ、良い車椅子使ってるねぇ」と労わりながらも、雑談を交え、笑顔で対応してくれた。
なんだか、医療従事者になりたいと思ったときの気持ちを思い出した気がする。
妻はそのまま検査へ。
子宮口の大きさ、赤ちゃんの様子を確認するらしい。
僕は別室で待機。
1時間くらい経過した気がする。
助産師さんが僕のいる部屋に来てくれた。赤ちゃんは恥ずかしがり屋だったのか、自宅のときの激しさは落ち着いていた。
「今日の検診のときと子宮口の大きさ4cmから変わってないみたいなの。入院しても良いし、帰っても良いと思う。どうする??病院まで遠い人だったら、このまま泊まっていけば(入院)?と提案するんだけど。奥さんも旦那さんと相談したいみたいだから、ゆっくり話し合ったみて」
妻が帰ってきた。30分程度、妻と話し合い。
「このまま入院してもすぐに産まれないまま、入院が続くのは不安。だったら、リラックスした環境で過ごせた方が良い」と妻。一方、自宅で陣痛に耐える様子や受診までの大変さを実感した僕はこのまま入院でも良いのではと考えていた。
結局帰宅することに
結局この日は自宅に帰ることにした。
帰宅をしたのは24:30。帰宅する途中も妻にはしんどく、「振動が響くから一旦ハザード付けて」と停車を繰り返しながら、そろりそろり運転。
車を出て、玄関に行くまでがこれまた大変。
陣痛のタイミングを読まなくてはならない。
やっとの思いで帰宅。
ベッドに入るも、陣痛は激しさを増す。道中で「こんなに痛いなら子どもいいや」と妻の心が折れかっている。
さぁ、陣痛オールナイトの始まりだ
5分間隔にくるお腹の痛みに対し、僕にできるのは妻の背中とお腹をできる限り要望通りにさすること。
「そこ違う!!ここ!!もっと強く」
「はい!」
時計は26:00を指している。
当たり前だが、妻が必死で戦っているなか、寝てはいけない。
わかっている。
だけど、今日はガッツリ仕事をしてきた。
陣痛が収まったタイミングで瞼が重くなってくる。
また陣痛が来て、妻の「ゔ、ゔ、、痛い!!」という多分隣の部屋の住人にも聞こえているんじゃないかというほどの声量のうめき声で目がカッと開き、手を動かす。
僕の手のさすりが弱まってくる「もっと強く!!」という声が飛ぶ。
ここで寝たら、多分離婚だ。離婚まで行かなくても、夫婦関係に確実に亀裂が入る。
「片目をくり抜かれるか、今ここで寝るかどっちが良い??」
それくらいのことだと思い、必死に太ももをつねりながら定期的に襲いかかってくる睡魔を跳ね除けることにした。
そんな状態が帰宅してから、もう1時間半は続いている。
さっき帰宅したばかりだが、もう自宅で過ごすのは無理だ。
帰宅後2時間経たずに病院へ再度連絡
もう一度病院へ連絡することにした。
電話をかけると先ほど対応してくれた看護師さんが出てくれる。
痛みが強くなってきていることを伝えると、「ではもう一度いらしてください」とのこと。
再度、病院へ。
同じように妻は検査へ、僕は別室へ案内される。
多分検査に1時間くらいはかかるだろう。寝るなら今しかない。
そう思い、学生が休み時間に寝るような姿勢で仮眠をとった。
トントンというドアをノックされる音で目が覚めた。
入院から分娩室に入室するまで
「では、入院になりますので、こちらの書類にサインをお願いします」
何だか、すっごく安心した。
ようやく入院になる、もう家で痛みに耐えなくても良いんだ。
ちなみにサインしたのが、何の書類だったのかはさっぱり覚えていない。
個室の病室へ案内されたのが、朝4:00。
部屋に入ると、口元にバケツを構え、助産師さんに背中をさすってもらっている妻の姿があった。
検査中にひどい吐き気に見舞われていたそうだ。
僕が部屋に入ったあとも、しばらくさすってもらっていたが、途中から僕と交代。
助産師さんは分娩時パスという、分娩までの流れが記載された書類を用い、今後のことを一通り説明してくれた。
夜通し陣痛に耐える妻と、さする夫
この説明以降、確か2時間おきくらいに部屋に来てくれたのだが、それまでは妻と2人。
陣痛も3〜5分おき。長期戦だ。
陣痛が来ては背中と腰をさすり、落ち着いては体力温存のために手を休める。
妻のしんどさが目に見えて強まっているのがわかる。歯を食いしばり、眉間にはシワがより、握り拳が作られている。
不安、恐怖、怒りが入り混じった感情なのだろう。
「もっと、ここをこう!!!そう、強く!!」
字面だけみると、何かスポーツを教えるコーチと生徒のようだが、まさに痛みの場所を教わりながらさする位置を変えていく感じ。
妻も痛みで寝ることなどほとんどできずだし、当然だが僕も寝れず。
お互いの体力が削られていく。これがあと、どれくらい続くんだろう。
見えないゴール。
気がついたら夜が明けた
朝7:00。
定期的に巡回してくれる助産師さんは仏様のように見えた。
「旦那さん、さするの変わりましょうか?今のうちにお食事とか、お手洗いとか行かれたらどうですか?」
お言葉に甘えさせていただくこととした。
また、助産師さんは神の手の持ち主で、妻の痛みの場所をピンポイントで当てる。
「あぁ〜〜、そこです、そこそこ!!(僕に対して)ねぇ、よくみて!次から真似して」
僕も必死で手の動かし方、当てる場所、強さを学ぶ。
手の甲を尾てい骨のちょっと上あたりに、強めに押し付け、円をかく感じ。
ただ、時間帯によって気持ちの良い場所は変わるので、観察が必要。
ん?妻の人格が変わり始めたぞ?
9:30。
妻の陣痛は変わらずだ。
助産師さんがやってきて、「1度お腹にモニターを付けて、赤ちゃんの状態を確認してみましょうか」と話す。
お腹に小さくて丸い円盤のようなものを挟み、バンドを巻いて固定。
「トントントン・・・」と心拍音が響き渡る。
この円盤、陣痛中のお腹に挟むと圧迫され、痛みが増して感じるよう。
30分もモニター管理をしていると、だんだん妻が怒り始める。
「もう、良いだろ!外せよ!」
あれ?人格が変わり始めた?
夜中、陣痛で寝れずにいて疲れが出てきたためか、段々と口調が荒っぽさを増してきた。
最初は助産師さんがいないうちだったので良かったが、助産師さんが病室にきた後も助産師さんに向かって、「もう良いよ、これ!意味ないよ!!」と怒りをぶつけ始めている。必死なのはわかっている。けれど、側から見ていてヒヤヒヤしてしまった。
助産師さんを敵に回してしまったら良いケアが受けられないかもしれないんだぞ。
ところが、助産師さんはさすがプロ。
何人もこういった妊婦を見てきているのだろう。
仏のような口調は崩さない。
「そうですよね、どうしてもこういった状況だと痛みの方が勝ってきちゃいますよね。でも必要な検査なので、もう少しさせてくださいね」
まさに神対応だと思う。
その後も10分くらいモニターをお腹に付けていたが、変化なし。
妻が診察のため別室へ移動
ここで助産師さんから「うーん、あんまり変化ありませんね。ちょっと、先生に診察してみましょうか」
時計は10:00過ぎを指している。
どうやら妻は部屋を移動するらしい。
「じゃあ、移動しますね」
妻が病室を出ている。僕はどうするんだろう。
ついて行って良いのか?
助産師さんに確認すると、夫は病室待機とのこと。
検査って言ってたし、終わったらまた戻ってくるのだろう。
夜中に病院に来た時も大体1時間くらいだから、戻ってくるまで仮眠を取ろう。
Zzz…
検査に行ったはずに妻がなぜか分娩室にいる
「ご主人!ちょっとこちらによろしいでしょうか?」と助産師さんに声をかけられる。11:00頃だったと思う。
こちらによろしいでしょうか???なんだ?なんだ?
僕は病室待機ではないのか。
助産師さんについていくと、分娩室と書かれた部屋の中に入っていく。
「僕は分娩室に入れないはずなのでは?立ち会い出産はできないはずなのでは?妻は検査後、病室に戻ってくるのでは?なになに、もう産まれるの?立ち会えるの?なに」
頭のなかはハテナでいっぱいだ。
妻は分娩台に座らされている。相変わらず、陣痛はひどそうだ。
助産師さんが「ご主人はこちらへお座りください」と分娩台の脇に案内された。
今から何が始まるんだ?怖い、怖すぎる。
分娩室に入室してからお産まで
ガラガラと扉が開き、高身長、長髪のヒョロっとした40代くらいの男性医師が入ってきた。マジこぇ。ほんと何なん?
何やら口を開き始めた。
全力で拒否する妻と全力で説得する医師
「今ね、検査したら子宮口が4cmくらいで、夜に来たときとほとんど変わらない状態なんですね。で、このままだとかなり時間かかりそうですし、その間もご本人(妻)の陣痛は続くワケなので、体力も削られていきます。だから、僕らとしては陣痛促進剤を使って、早めた方が良いかなと思っています」
すると僕の脇から分娩室中に響き渡る声で妻が「それはいや!!!!早くお腹を切ってください!!」と叫んでいる。
ようやく状況が飲み込めた。
要は産科医が提案する最善と思われる方針に妻が反対しているため、夫婦で相談しろ、妻を説得しろ。そういう意味で僕がイレギュラーな形で分娩室に呼ばれたというワケだと理解した。
妻は促進剤の使用を頑なに拒否している。
妻「嫌だったら、嫌だってば!!そんなことより早くお腹を切ってって言ってるでしょ!!」
産科医「でもね、まだお若いですし、帝王切開にもリスクがあるわけで」
助産師さん「〇〇さん、下から産めるなら下から産んだ方が良いですよ。その方が後が絶対楽ですし」
妻「今辛いんだよ!!後のことなんてどうでも良いんだ!もう、死にたいよ。赤ちゃんになんて会えなくて良いから、早くお腹切ってって言ってんじゃんかよ!!!!」
わかりやすい説明や論理的な話なんてもんは通用しない。
産科医は困り果てている。
ついには過激な表現を使うようになった。「帝王切開は死ぬリスクも上がるんですよ、大量出血で」
話終わる前に妻が「それで良いです!!早く!!じゃなきゃ、転院させてください!!」
こりゃダメだと言わんばかりの医師の表情。
「わかりました。ちょっと私は席を外すのでご夫婦で話し合ってください」
全力で拒否する妻と全力で説得する夫
妻と僕と助産師さん3人だけの空間。
助産師さん「〇〇さん(妻の名前)、帝王切開は最後の手段なんですよ。せっかく下から産めるんです。促進剤は痛みが強くなるってわけではないんですよ」
妻「そんなことはわかっています!!!早く!!!切って!」
僕「さっきさ、死亡リスクの話をしていたじゃん?僕は〇〇(妻)と赤ちゃんが一番安全な方法が良いんだよ。もう十分頑張ったけど、あとちょっとだよ」
妻「もうその、あとちょっとが嫌なんだって。もう死んだ後、赤ちゃんよろしく」
もう、どうしたら良いんだ。
妻を励まそうと次々とスタッフが来てくれる。おそらく検診から診てくれていたであろうベテラン助産師さんも「〇〇さん(妻)、どうしたの?これまで頑張ってこれたじゃない」
「失礼します〜」
後ろから声がする。振り返るとお昼ご飯が運ばれてきている。
えっ?ここで?分娩室だぞ?てか、今?このタイミングで?無理だろぉぉ。
産科はこういうことが普通なのか?
ご飯はいいや、妻も食べる気はゼロ。
全力拒否の妻を説得できず
僕だけじゃ説得は無理だ。妻の母か、妻が心から信頼している助産師の友人。どちらかの声を聞いたら冷静になるかもしれない。そう思い、助産師さんに「スマホ。スマホを持ち込んでも良いですか」と聞くと、良いですよとの返答があった。妻に電話をするか確認すると、「しない。誰がどういったってお腹を切る。だって、受けるのは私だから」と覆りそうにない。
とりあえず、急いで病室に戻り、助産師の妻の友人に電話をかけた。
一通り状況を話したが、さすがは現役助産師。
何度も経験しているのだろう、慌てふためくことなく苦笑いが帰ってくる。
なぜ産科医が妻に説明したような分娩方針にしたのか、冷静に説明してくれた。もし帝王切開の適用になるならどういう状況なのかも含めて。
最後に「一つ言えるのは、夜中から子宮口が4cmから変わってきてないから促進剤を使わないとおそらく分娩が進んでいかない。その間も痛みはあるから、それこそ生き地獄。だったら、促進剤を使って早めに決着付けられた方が良いかなぁと思うよ。〇〇(妻)も相当痛みがひどい状況の中を寝ずに耐えていて、精神的にもかなり弱ってきていると思うのね。〇〇くん(僕)もそうだと思うけど、あとは周囲のサポートだよ。あぁ、今すぐ旗を持って、そちらに行ってあげたい。何かあったら、電話はできるから」と言ってくれた。優しい。
妻の友人から力を得た僕は再度分娩室へ向かって、妻と相談に行った。
破水していた!!
分娩室のドアを開けると、妻に3人が張り付いている。
「ご主人、今検査しているから出てて!!」
「はい!!」と反射的にドアを閉めた。
えぇ??今度はなに?
さっきは相談してくださいって言ってたじゃん?
どんな状況?もう、産まれるん?誰か教えてこの状況。
しばらくすると、さっきの産科医が出てきた。
「さっき破水があったので、もうしばらく自然分娩で様子をみましょう。万が一に備えて、こちらも帝王切開の準備はしておきます」とのこと。
続いて助産師さん。
先ほどは20代後半くらいで癒し系の若い助産師さんだったが、今度は40代くらいのエース級助産師さんだ。女子バレー部キャプテンを彷彿とさせるパワフル系だ。
夫は別室待機になった
「このまま、経過を待つことになったのでご主人は病室で待機していてください」
どうやら、分娩方針の問題は解決したらしい。
分娩室から妻の声が響く。
「1人にしないで!!!!!」
僕が部屋に戻ったのは12:00頃。
おそらく、赤ちゃんが産まれるまでここで待つことになるだろう。
一口も手をつけられていない昼食を食べる夫
13:00頃。
「これ、奥さんが食べなかったお昼なのでご主人食べちゃってください」と冷たくなったご飯が運ばれてくる。一口も手を付けない綺麗な状態だ。
妻は痛みに耐えているのに、僕だけ昼食を取るのが申し訳なかったが、ちゃんと完食した。
ついに妻が促進剤に了承する
14:00頃。
さっきのパワフル系助産師さんだ。
「奥さんが促進剤に了承されたから、今のうちにこれ書いてもらえる?」
手術説明・同意書?
妻の希望通り、手術することになったん?
どうやら促進剤は手術にカテゴリーされるらしい。
僕は急いでサイン。書き終えると「ありがとうー」とパワフル系助産師さんは嵐のように去って行った。
すげぇ、説得したんだ。あの状態の妻を。
感服した。プロってすげぇ。
子宮口が4cmから8cmに!
15:00頃。
パワフル系助産師さんだ。
「今、子宮口8cmまで来たよ!多分、早ければ今日の夕方、遅くても今日中に産まれれば良いって感じかな」
それだけ伝え、去って行った。
まもなくお産です
16:20頃
パワフル系助産師さん「ご主人、もう産まれるよ」と言いに来てくれた。
分娩室に入れなくても、分娩室の外で声だけでも聞きたい。そう訴えるが、それもコロナの事情かダメらしい。
部屋で大人しく待つしかない。
ついに小柄な妻から子どもが産まれるのだ。
よく頑張ってくれた。涙が出そうだ。
ベッドサイドのナースコールが鳴った。
「〇〇さん(僕)、まもなくお産です」
「奥さん、よく頑張ったよ」
16:30頃
今度はベテラン助産師さん。
「ご主人、産まれたよ。元気な男の子。おめでとうございます。奥さん、よく頑張ったよ。あとで写真見せてあげるね、彼女(妻)のスマホは?」
病室に置きっぱなしになっていた妻のスマホを持って、病室を出ていく。
いつになったら会えるのか、待っていたけどなかなか戻ってこない。
お産から30分後、「ご主人、こちらへ」と案内される。
分娩室ではない方へ向かっていく。
あれ?分娩室じゃないの?
ついていくと、「こちらです」とガラス窓の前で立ち止まる。
人間じゃーーん
いたーーーーーーーーーーーーー!
人間だ!!
こいつか!!こいつが、お腹のなかで動く生き物の正体だったのか。
しばらく、観察。なかなか、可愛いじゃないか。
産まれたてホヤホヤの赤ちゃん、初めて見た。
鼻が妻に似ている。ほっぺも妻似か。目は奥二重で、僕似か。
そんなことを考えながら、数十分前にこの世に産まれたばかりに新生児を見ていると、ふと気が付く。
頭の帽子は可愛いが、透けて見える頭がなんだか長くないか?
もしかして、頭が大きい病気(水頭症など)で、親がショックを受けないように被せているのか?だって、横の赤ちゃんは帽子被ってない。そんな不安がよぎる。←どうやら初産の場合、子宮から出る時に頭の形が長くなることがあるらしい。
すると、後ろから「赤ちゃん見れた?」と妻の声がする。
ようやく妻と再会
僕は必死で陣痛に耐えた妻に感謝を伝えようとするが、「ありが…..と…う?」と言葉に詰まる。車椅子に乗った妻があまりにも変わり果てていて、他の人の奥さんだと思ってしまったのだ。お産を終えた女性の体はフルマラソンを走り終えたと同じくらいの疲労だと聞いたことがある。まさにそんな感じだ。
改めて感謝の言葉を伝えた。
「本当にありがとう」
もっと素敵な言葉をかけたかったが、それ以外見つからなかった。
病室に戻ると、妻と20代後半の癒し系助産師さんが握手をしていた。
妻「さっきはごめんなさい」
助産師さん「良いんですよ、元気に産まれて良かったです」
妻のいつもの穏やかな表情に戻っていた。
助産師さんが病室から出て行ったあと、妻から分娩室に入ったあとの様子を聞いた。
どうやらほとんどの時間は妻と癒し系助産師さんの2名だけだったらしく、妻の叫び声に優しく答えてくれていたらしい。ときには妻の「う◯こが漏れそうです!!」という声に「漏らしても良いですよ」と答えてくれていたんだとか。さすがはプロだ。
そんな話を聞いていると、癒し系助産師さんが病室に来た。
出産後は面会が15分以内に制限される
どうやら出産後の面会時間は15分なんだとか。
僕はもう帰らないといけない。
ああ、もっと話していたいが、決まりなら仕方ない。
「お疲れ様、ありがとう」と告げ、病室を去る。
時刻は18:00過ぎ。
なんて綺麗な夕方なんだろう。
分娩所要時間は19時間35分だった
あぁ、もう僕は寝ていいんだ。好きな食事を食べても良いんだ。
出産は命懸け。
産まれる瞬間に立ち会ってはいないが、本当にその言葉の意味を実感させてもらった日でもあった。ありがとう。
母子共に健康。この言葉の意味を噛み締め、両親や親族に出産報告を行い、その日は自宅のソファーで寝落ちしたのだった。