東大教授も実践していた 貧乏脱出計画

 お金の不安をなくしたい、生活するのに十分な財産を築いてゆとりを持って暮らしたいと思うことありますよね。

 お金に余裕を持って暮らせるのは一部の裕福な家庭だけだと思われがちですが、お金持ちになるにはお金持ちになるなりのやり方と考え方があるようです。

 今回は貧しい幼少期を過ごしながらも、莫大な富を築き、富豪と呼ばれるようになった本多静六の著書「私の財産告白」から一般人でも経済的にゆとりを持って生活していくためのヒントを見つけたのでまとめてみました。

この記事を見ると・・・
・お金にゆとりある生活をしていくための考え方がわかります。
・今後の人生でお金に困ることが減るはずです。

貧乏人から富豪へ 本多静六とはどんな人物か

業績

 東京農科大学(現・東京大学農学部)の助教授でした。

 研究のかたわら植林・造園・産業振興など幅広い分野で活躍して、日比谷公園の設計や明治神宮の造林をするなどの業績を残しています。

 そのほかにも「月給4分の1天引き貯金」や独自の蓄財投資法で莫大な財産の構築に成功しています。

貧乏時代からお金持ちへ

 本多静六は少年時代から学生時代にかけて貧乏生活を経験しています。

 著書には「貧乏なるがゆえに深刻な苦痛と耐えがたい屈辱をなめさせられてきた」と書かれていました。

 貧乏生活を経験するなかで、なんとしてでも今の生活から抜け出さないと精神的独立と生活の独立もおぼつかないと考えるようになります。

つまり、お金持ちになろうと決心したのは「精神な余裕」と「生活の余裕」を持つためだったのです。

 お金にゆとりを持とうと決心してからというもの本多静六は大学の教授としての仕事をしながら勉強をし、質素な生活を送り、せっせと財産の構築に精を出し始めます。

莫大な富を築き、多くを寄付へ

 あまりに莫大の富を築いた本多静六はあるとき、こんな考えが浮かんできます。

 お金を貯めてどうする?財産を作って何をしようとするのか?

 本多静六は60歳の定年後に「人並み外れた大財産や名誉の位置は幸福そのものではない。身のため、子孫のために有害無益である」と悟り、財産のほとんどを匿名で社会事業団体に寄付してしまいます。

 そしてまた質素な生活を送る日々へと戻っていきました。

貧乏人を脱した方法

手取りの4分の1を貯金

 富豪となる人物もまずは貯金から始めたのです。

貯金は手取りの4分の1です。「本多式貯金法」という呼ばれ方もされているみたいです。

 内容は実にシンプル。

 たとえば月に20万円稼ぐ人であれば、4分の3にあたる15万円を生活費に使い、4分の1の5万円を貯金してしまうのです。

 初めから自分が15万円しか稼いでないんだと言い聞かせて強制的に5万円を貯金してしまうのです。

 

ポイント
収入が入ったら真っ先に4分の1を貯金に回してしまいます。生活費を使ってから残ったお金を貯金しようと思うとなかなか貯金できません。

アルバイト

 今の時代でいうところの副業です。 

 本多静六は大学の助教授という本業もありながら、生涯で約370冊の本を世に送り出しています。

 それは4分の1の貯金に加えて、「1日に1ページ」の文章執筆という課題を自分に課していました。

 原稿用紙1ページというと32字詰め14行なので、448文字です。

 これを25歳から毎日実行していました。今の時代でいうところもブログも文章執筆にあたるのかもしれませんね。

 

 富豪になった人物ならいとも簡単に実行していたと思われがちですが、さすがの本多静六も毎日となると苦しかったようです。

 著書には「貯金と同じようにあくまでも忍耐と継続とが大切で、最初はずいぶん苦しかったが、断然やり抜いた」と書いてありましたよ。

 やはり誰であっても毎日の継続はしんどい時期があるようですね。

雪だるまの芯ができたら、投資へ

 貯金を継続し、ある程度まとまった額になってきたところで投資を行っています。

 本多静六はまとまった額を「大切な雪だるまの芯」と表現している。

 雪だるまは最初の芯の部分をしっかり固めながら作る作業が一番大変で、芯さえ作っていまえば、あとはコロコロと転がしておくだけで、勝手に球体が大きくなっていきます。投資でも同じことが言えるそうです。

 著書で「どんなに辛い思いをしても、まずは1000円をお貯めなさい」と言っています。

 本多静六が20代を過ごした明治20年代は大卒の初任給が20円の時代です。ここでいう1000円は今でいう1000万円に相当します。

 1000万円を貯めれば、たちまち5000万円、そして1億円が見えてくると書いてあります。

 

 本多静六は4分の1貯金と投資を始めて15年目の40歳のときに大学の助教授としても給料を遥かに上回る貯金の利子や株式配当を得ています。

 30年が経過した60歳の頃には数億円の貯金、株式、家屋のほかに田んぼや畑、山、不動産6か所という大きな財産を手にしています。

考え方

本多静六が大切にしていた考え方

・人生計画を持つ
・働学併進
・勤倹貯蓄
・時節を待つ

人生計画を持つ

 どんな風に生きていたいか理想を持たずに生きていても死ぬことはありません。ですが、人生はよく航海に例えられるように目的地が定まっていなければただ流されつづけ、陸地に到着してから「こんなところに来たくはなかった」と嘆くことになってしまいます。

 本多静六は人生計画を持つことは重要だと考えており、「40歳までは仕事をしながら質素な生活して生活安定の基礎を作る。60歳までは研究に没頭する。70歳まではお礼奉公。70歳からは山紫水明の温泉郷で悠々自適に暮らす」と決めていたそうです。

 結果として全て叶えてこの世を旅立っています。

働学併進

 仕事をしながら、勉強をするということですね。

 社会人になってから勉強をすることの大切さは色んな人が説明していますが、本多静六も働きながら、勉強をするが重要だと心得ていたようです。

 新しい知識を勉強して、実行する。そして改善を継続してきたからこそ、莫大な財産を得ることができたのかもしれません。

勤倹貯蓄

 簡単に言ってしまうと、しっかりと働き、質素な生活をして、倹約に勤めるということですね。

 本多静六が財産を築こうと決心したのが、ドイツへ留学をしていたとき。

 当時ミュンヘン大学の経済学教授だったブレンタノ博士の言葉がきっかけだったようです。ちなみにブレンタノ博士は40歳にして数十億円の財産を築いている富豪です。

 ブレンタノ博士は本多静六に「財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない」と言われ、熱心に教えを守っています。

時節を待つ

 投資をするときに大切にしていた考え方のようです。

 短期間に大きな利益を得ようとすると許容範囲以上のリスクをとってしまいがちです。

 本多静六は投資をする上で、長期的な目線を持っていました。

 特に焦らず、怠らず、時が来るのを待つというのが投資をする上で大切だと考えていました。

何事にも成功を期するには、ぜひこれだけは心得ておくべしといった、大切な処世信条の1つを披露しておく。それは、何事も「時節を待つ」ということだ。

「私の財産告白」本多静六

まとめ

 貧乏人から富豪になった人物か取り入れられることはたくさんあります。

 今回で言えば、まずは貯金をすること、副業にチャレンジしてみること、投資をしてみることですね。

 経済的なゆとりが欲しいと思うなら、しっかりと勉強し、正しく考え実行していくことが大切です。

 過去の成功者から学び、ゆとりある毎日を手に入れたいですね。

 それでは、また。

by カエレバ

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