結局楽しんでいるときが一番成果が出ているときだ

 部活や勉強で練習をしたのだが、本番でなかなか成功しないという経験をしたことは誰しもあるだろう。

 

 一方で同じ練習量でも成果を出す人が出す人がいるのも事実。

 違いは何か。

 

 元々の能力の違いはあるが、やはり一番の要素は自信があるか、ないかだと思う。

 

 成果を出す人は「俺はきっとできる」と成功イメージを持って練習に臨み、結果を出せない人は「俺はできるんだろうか?」と疑いを持ちながら練習をしている。 

 

 外から見ると同じ練習をしているのに、内面で考えることが違うだけで結果に差が出てくる。

 

 私は高校時代野球をしていた。

 当時なかなか成果が出せず、なぜ練習をしているのに成果が出ないのか真剣に考えたが答えは出なかった。

 

 渦中のなかにいるときは自分を客観視できない。

 

 引退してから6年。

 今でもふとしたときに考えることがある。

 

 「結構練習していたのに、結果が出せなかったのはなんでだろう?むしろ、練習をすればするほど空回りしていた気がするな」

 

 今の答えは、シンプルだが自信の有無だ。

  

 私は自分自身に疑いを持ちながら練習をしていた。当時はこんな感じのことを考えながら練習や本番を迎えていた。

 ・本当にうまくなれるんだろうか?

 ・俺よりうまい人はいる、自分が試合に出て足を引っ張りたくない

 ・試合でエラーをして情けない姿を見せたくない

 ・レギュラーを外されたくない 

 

 当時抱いていた感情、それは恐怖。

 失うことへの恐怖だったのだ。

  

 恐怖を抱きながら練習をして果たしてうまくなるのだろうか? 

 試合で伸び伸びとしたプレーができるのだろうか?

 

 成果を出す人はプレーすること自体を楽しんでいるように思う。失うことへの恐怖など微塵も考えていない。

 

 かくいう私も高校野球を2年半やっていて、数回プレーをすること自体が楽しくて、失う恐怖など考えていないという感覚を経験したことがある。 

 

 それは練習をたくさんしていた時期ではない。

 怪我で練習に参加できず、数ヶ月休み復帰した後のことだった。

 

 あのときは練習が思うようにできていなかったのにも関わらず、練習をしていたときよりも体が動いた。そして何より心が軽かったので、伸び伸びプレーができていた感覚があった。

 

 イキイキとプレーをするから、成果が出るのだろうか?

 それとも成果が出るからイキイキとプレーができるのだろうか?

 

 私は両方だと思う。

 しかし、後者の場合は結果に左右されるため、不安定な選手になりやすい。

 一方前者は自分のマインドという比較的コントロール可能なものに焦点を当てており、結果に左右されにくい。

 

 人間は自信があるときに成果を出すことができる。

 自信があるときは心がイキイキとしているから。

 

 

 私が高校野球を通して感じたこと。

 人間は得られないことよりも失うことを非常に恐れる生き物。

 失うものを意識したとき、恐怖を抱くのでどうしても縮こまってしまう。

 心が小さくなってしまうのだ。 

 

 立場や自分の利益を意識することは言い換えると失うことを意識することでもある。

 

 成果を出せているとき、つまり、伸び伸びできているときは自分のやるべきことに夢中になれているときだと思う。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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