自立とは依存先を増やすことである。
小児科医 熊谷晋一郎
最近ハッとさせられた言葉だ。
自立をしたいというのは誰もが思うことであろう。
経済的に自立したい、身体的に自立したい、精神的に自立したいなど、様々な自立がある。
自立の対義語で依存という言葉が使われる。
他のものによりかかり、それによって成り立つこと。
良くない意味として用いられることが多く、私もできるだけ何かに依存することのないようにしたいと思ってきた。
だが、どうだろう?
果たして何にも依存しないという生活は可能なのだろうか。
良く考えてみると私たちは何かに依存しながら生きている。
たとえば、会社。
今日いきなり解雇を言い渡されたら困る人は多いだろう。生活費を稼ぐために会社に依存しているということだ。
次にスマホ。
現代社会では必須のアイテムである。スマホがなければ、おそらく生活は不便になることだろう。
あとは、配偶者や恋人、家族。
料理や洗濯をしてもらうなどの物理的な依存から、話を聞いてもらったり、落ち込んでいるときに励ましたもらうなどの精神的な依存をしている。
社会人になり、お金を生活費を自分で稼ぐようになれば自立ではない。
私たちは様々なものに依存しながら生きている。
良くないのは特定の1つのものに依存すること。
たとえば、
・恋人だけに依存する。
・特定の会社だけに依存する。
1つのものだけに依存してしまうと、依存先がなくなったときに自分が生活をしていくことすらままならなくなってしまう。
自分自身の精神が正常に保てなくなってしまうのだ。
だが、依存先が多ければ、1つ依存先がなくなってもほかの依存先があるから生活が立ち行かなくなるという心配はない。
依存先の影響が大きければ、しばらく落ち込むことはあるかもしれないが、1つだけのときと比較するとダメージは分散される。
・恋人、友人、家族、職場の人に依存する。
・今の会社だけでなく、趣味や副業にも依存する。
このように依存先を増やすことで自分の精神は安定する。
安定するとはお金をたくさん持っていることでも、公務員のような解雇されにくい職に就くことでもない。
真の安定とは自分の精神状態が安定していること。
そのためには現代社会ではお金や職、物などが必要なのだ。
だから、何かに依存してはいけないのではない。
依存せずには生きられない。
依存先を複数持てば良いのだ。
こう考えることで気楽に生きられるような気がしないだろうか。
何でもかんでも自分でやらなけばと考える人は少し肩の荷が降りたのではないだろうか。
私も会社や特定の人だけでなく、少し依存先を増やすチャレンジをしてみよう。
依存先を増やすことが、今ある人間関係をより良くさせるのかもしれない。