時間の制限こそ、充実の秘訣?

 

 「もっと時間があれば良いのに」

 

 

 こんなふうに思ったことはあるだろうか?

 

 

 私は何度もある。何なら仕事は週休4日になればどんなに良いことだろうと思うこともある。

 

 

 その思いの根底には自由な時間があればあるほどやりたいことができるという思いがあるのだろう。

 

 確かにそうだ。

 

 時間があれば、自由が増える。

 

 朝12:00まで寝たって良いし、深夜になってから作業を始めたって良いし、撮り溜めていたドラマを一気に10話見たって良い。

 

 

 ただ、最近になって気づいたことがある。

 

 

 「時間がないときの方が充実してるかも?」

  

 

 

 正確に言えば、時間がないときに工夫して捻出した時間の方が充実しているだ。

 

 人間は適度な制限があった方が良いのかもしれない。

 

 

 いきなりだが、私は2020年6月にブログを立ち上げた。まさに今記事を書いているこのブログだ。

 

 ブログを立ち上げる前は、

 

 「記事なんていつ書くんだよ、時間ないわ!」と思っていたが、立ち上げてからは時間を捻出するよう工夫している。

 

 出勤前や残業をなるべく減らし、帰宅後に書くようにしている。毎日の作業時間は2時間ほどだ。

 

 そんな生活がもう4ヶ月になる。

 

 不思議なことに仕事のある平日の方が執筆が捗る。

 

 休日は24時間あるのだから、さぞかし捗るだろうと期待して金曜日の床に就くのだが、結果は散々なものだ。

 

 

 「やべっ、もう10時だ。よし10:30~12:30まで執筆しよう。それまでヨウツベ見よう」

 

 「もう11:00かよ。しゃーねー、執筆は午後からだな」

 

 「あれ、もう14:00?時計早くね?」

 

 「部屋散らかってんな。掃除してからやろう。16:00スタートだ」

 

 「もう暗くなってきた、よし夕飯後だ。それまで買い出しに行こう」

 

 「もう20:00かよ。てか、この前録画してたやつまだ見てないじゃん。休日だし、休養に使うべきだよな。よし執筆は明日だ」

 

 

 こんなありさまだ。

 

 これだけ時間があったのに、一文字も書いてない。平日は1~4時間という時間に限りがあるのに記事が書けているにも関わらず。

 

 

 いや、制限があるからこそ記事が書けるのではないか?

 

 

 メカニズムはよくわからないのだが、作業は時間があれば捗るというものでもない気がする。

 

 

 私のブログのように、時間があっても捗らない作業はほかにもある。 

 

 たとえば、

 


・夏休みの宿題
・部屋の掃除
・家計簿アプリ
・車の洗車     など

 

 これらの共通点は何か?

 

・やらなくても困らない。

・先延ばしにできる。

 

 人は結局時間に制限があるからこそできることがあるのだ。

 

 ほかにも制限が無くなったらやらないことってたくさんあると思う。

 

 ゴミ出しだって回収車が週2日じゃなくて、毎日になったら「明日で良いや」とあっという間にゴミが溜まってしまいそうだ。

 

 

 いつでもできると思うと心が伸びきってしまう。

 

 

 

 「ビヨーン」

 

 

 

 

 

  

 だから私は休日にブログを書くとき、できる限り午前中に書くように心がけている。

 

  

 

 

  午後は遊びに出かけるか、部屋の掃除をするか、Amazonプライムを見るか、読書をする。

 

 

 

 その方が記事の執筆が捗る。

 

 

 適度な時間の制限こそ、充実の秘訣だ。

 

  

 サッカーというスポーツから時間制限をとったらつまらなくなるのと一緒だ。 

 

 90分という時間制限があるからこそ、走りきれるし、戦える。

 

 もしサッカーの試合が6時間だったらつまらない。

 

 

 というか、

 

 

 「地獄や」

 

 

 

 

 人間はドMなのだ。

 

 

 縛られた方ができるのだ。

 

 

 充実は制限から生まれる。

 

 

 私も時間のあるうちに車の洗車をするとするか。

 

 

 

 「外も冷えてきたことだし。よし、明日やろう。」

 

 

  

 

 

 「ダメだこりゃ。誰か縛ってくれ」

 

 

  

 

 

 おっと、失礼。

 

  

 

 それでは、また。

 

 

 

 

 

  

 

 

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