仕事をしていると思うことだ。
良いことは待っていれば、自然に湧いてくるものではなく、自分から積極的に探しにいくものなのかもしれない。
仕事ではうまくいかないことや何か問題があったときは叱られる、注意される。
当たり前だ。
改善点を修正し、また同じミスをしないために必要なことなのだから。
逆にうまくいったとき。
当たり前として特に反応はない。
これもまた当たり前だ。仕事なのだからミスせずできて当たり前。
「知らせがないのは良い頼り」
このようなことわざもあるように特に連絡がなければ、自分の行った仕事はうまくいったとホッとする。
至極当たり前のこと。
ただ、これで良い仕事ができるのだろうか?
プレッシャーばかりがかかる構造になっていないだろうか?
もちろん、仕事なのから当たり前と言われてしまえばそれまでだ。
人様からお金をもらっているのだから、ミスなく仕事をして当然のこと。
私は思う。せめてミスなく仕事をして当たり前というスタンスはお金を直接払っているお客さんだけにして、一緒に働いているスタッフ同士は良いところを見つけ合う習慣ができないものか。
良いところや感謝すべき点を見つけ合う組織の方が、仕事の質も格段に高まる気がする。
かくいう私も恥ずかしながら、これまで自分の為すべき仕事に精一杯で、全く他人の仕事に感謝する余裕はなかった。
というより、感謝する点を見つけようともしていなかった。
不備があったときだけ、心のなかで不満をつぶやいていた。
「頼んだ書類まだできてないよ」
「何また方針変わったの?一からやり直しじゃんか」
仕事だけではない。私は今実家で暮らしているのだが、家族に対してもしかり。
夕飯を作ってくれること、洗濯をしてくれることが当たり前になってしまい、感謝をするどころか問題があったときだけ文句を言ってしまう。
一事が万事とはまさにこのこと。
私もこのような姿勢でいて、うまくいったらフィードバックをもらいたいなんて虫の良い話だ。
ただ、やはり仕事ではスタッフ同士が感謝し合う習慣、褒め合う習慣があった方が質が高まるはず。
たとえば、
「さっき報告ありがとう、実は報告受けるまで気づいていなかったよ」
「書類作成ありがとう」
こんな些細なやりとりで良いと思う。
まずは自分の行動を変える。
他人に強要するのではなく、良いと思ったことは自分で黙々と実行するのだ。
どう実行していくのか。
良いところは待っていれば自然と見つかるものではなく、自分から積極的に見つけにいかなければ永遠に見つからない。
だから他人の良い点、感謝すべき点を見つけたらアウトプットする。
直接本人に言うことができなければ、ブログやTwitterで発信する。
もちろん、個人名や仕事内容を詳細には書かない。
とにかく、良いところを見つけるという思考回路を作る。
不思議なことに悪いところは自然と見つかり、頼まれなくても文句を言ってしまうのに、良いところは意識しないと見つからない。
だから差がつく部分でもある。
意識して良いことを見つけようとして10年仕事をした人と無意識に見つかる不満ばかりに注目してしまう人。
大きな差にならないわけがない。
悪いところしか見れないのは仕方のないことでもある。
日本で育っていれば、テストは原点方式だったし、部活のとき悪いところがあれば叱られるという環境で過ごしているはず。
どこかのタイミングで気づいて修正しなければいけないのだ。
それが今だった。ただそれだけのこと。
今からでも遅くはないはずだ。
今できている仕事も他人の仕事がなければ、何もできない私なのだから。