昨日はうちの相方さん(妻)が最後の勤務だった。
よく頑張ったよなぁ。約4年半も。
「ぜったいに、3年で辞めるからね」
僕は相方さんと20歳のときから交際をしている。
だから相方さんの学生時代、社会人1年目から今に至るまでの姿を近くで見ている、つもり。
ずっと看護師になりたくて、憧れの病院に入職できたんだけど、1年目はずっと「辞めたい、辞めたいよぉぉ」って言ってた。
「私は3年で辞めるんだから、わかっているよね」って、無言の圧をいつも感じていた。今思い出すと懐かしい。
僕より相方さんは1学年上。まだ大学4年生だった僕は「社会人って、そんなに大変なんだなぁ」と、来年は僕もその立場になるんだと少し怯えていた。
当時の相方さんがずーっと言ってたのは、この2つ。
- 3年で辞める。
- その間に500万円貯める。
500万円は結婚資金だ。僕も貯めるつもりだったけど、相方さんは本当に3年で500万を貯めてしまったから驚いた。
今の時代、結婚式をあげないという若者は多いと思うんだけど、相方さんは結婚式への憧れがとっても強かった。
僕は、120キロ離れた場所に就職した。
翌年、私は地元の病院にソーシャルワーカーとして就職した。
相方さんの病院とは、約120キロ離れているし、学生とは違って自由な時間は少ない。会える時間は少なくなった。
さいわい、僕の職場は土日休み。
休みが合えば、中間地点の場所で会い、相方さんが仕事なら職場の近くまで行って、一緒に夕食をとった。
楽しかったなぁ。
そんな生活も今から3年前。とっても懐かしい、大切な思い出だ。
新型のウイルスが大流行
僕が社会人1年目の冬、コロナが日本に上陸した。
「どうせ、1ヶ月もすれば落ち着くでしょ。どんなに長引いても、ゴールデンウィークまでにはねぇ。っていうか、COVIDってなんかGODIVAみたいじゃない?」なんて話を職場の上司としたのは懐かしい。
なんの、なんの。今でも続いているからね。
タイムスリップして当時の僕に伝えに行ったら、絶望するだろうな。
今ではマスクをしていないと、職場の人でも誰だかわからん、という状態になってる。当時じゃ考えられないよね。
マスクがどこにも売ってなかったり、1ヶ月も緊急事態宣言で外出したら非国民扱いされたり。
GO TOトラベルという、神事業
結婚はコロナが落ち着いてからにしようかなぁ、と思っていたけど、そんな待っていたらいつになるかわからない。
その判断は正しかった。
政府がGO TOトラベルという、神事業をしてくれたので、思い切ってザ・リッツカールトン・東京を予約して、パッカーンをした。
本当に、良いホテルだったぁ。また、いつか行きたい。
【ザ・リッツ・カールトン東京】六本木の5つ星ホテルに泊まってきた宿泊記。また行きたいと思える最高のホテルだった。結婚式はいつにする?
それから、僕たちは会うたびに婚式の話をするように。
「いつ、挙げる?コロナがおさまる2021年11月あたりにする?きっと、落ち着いているよね?」
おいおい、君たち。そんなん、まだコロナ禍真っ只中だぞぉ。
【コロナ禍】結婚式は行うべき?それとも落ち着くまで控えておくべき?パッカーンから半年後、僕が社会人3年目、相方さんが4年目のとき、先に入籍をした。
「仕事辞めたくない」だって!?
ずっと、「3年で辞める。わかっているよね」って言っていた相方さんだったから、アパートも僕の職場から徒歩数分の2LDKを借りた。
そしたら驚くことに、「仕事楽しくなってきたんだよね。今、辞めたくない」だって!!
すごくない??ひどいときは、仕事が辛くて「◯にたい」って言っていた人が、だよ。仕事楽しいだって。もう少し、続けたいだって。驚きだよ、もう。
片道3時間通勤のはじまり、はじまり。
でもさ、もうアパート借りちゃったよ?
もっと早く言ってくれれば、お互いの中間地点で借りたのに。
なんて、議論は何度したことか。
ここから、約1年6ヶ月に及ぶ相方さんの3時間通勤が始まったんだよね。
朝は4:00起き、夜は24:00就寝。
疲れもたまるから、そりゃ喧嘩もするよね。
相方さんの念願だった挙式
結局、お互いの両親を相談して、2022年3月に挙げた。
とっても、良いお天気だった。
まだコロナ禍だったけどね。
実を言うと、人前で派手なことをするのが苦手な僕は結婚式がとっても嫌だった。
式の1ヶ月前は仕事をしていても、頭をよぎる。「1ヶ月したら、式が待っている。色んな人の前で立派に振る舞わないといけない」。そんな僕をよそに、相方さんはワックワク。温度差から度々、言い合いにもなった。
けどね。
マジで良かった。結婚式をして本当に良かった。
お義父さんのあんなに喜んでいる姿が見れたんだから。
結婚式って、なんか良いもんだなと思えたよ。
結婚式を挙げていなければ、わからなかったことだった。
さて、今後の暮らしどうするよ?
結婚式も落ち着いたら、僕らは本格的に今後の暮らしについて話し合った。
お互い、仕事は続けたい。考えもしなかった、僕が相方さんの職場方面に転職する?なんて話も持ち上がっていた。
僕はというと、まんざらでもなかった。
相方さんの職場は都会にある。僕の職場は田舎。
僕も大学は都内の大学に合格していたから、一人暮らしをする予定だったんだけど、諸事情で実家から通えるところに入学。
心のどこかで、選択肢の多い、都会に転職をしてもいいかなぁと思っていた。
むしろ、面白そうだし、チャンスかもなんて。
共働きで住む場所を中間地点にするか迷っている。けど、どこか引っかかる。
都会で暮らしていくイメージが沸かないし、家賃は高いだろ?
お金、貯まんないんじゃない?
やっていけんのかなぁ。
決めきれない。まだ、ステイだ。
迷っているうちは。
妊娠でお互いに決心がついた
決定打を打ってくれたのは、ポコだった。
(私たちはお腹の赤ちゃんをポコと呼んでいる)
妊娠中も遠距離通勤を続けたが、色々あった。お腹が痛く通えないときも、何度もあった。
お腹の痛みで仕事をお休みしていた妻が復帰。本当に相方さんは頑張ったと思うし、色んな思い出ができた。そんな長距離通勤も昨日で一区切り。
産休は戻ってくる人のための制度だが。
産休は、出産後にまた戻ってくる人のための制度。だから相方さんは退職したわけではないし、本人もできることなら戻りたい気持ちは強い。
けど、ポコが生まれてきてからの生活は全く想像できないし、一般的に考えても、子どもがいる状態で片道3時間の通勤は無謀だよね。
うーん。どうなるんだろう。
今はわからない。もしかしたら、通えないかもしれないし。だから、もしかしたら職場の人と会うのは昨日で最後だったかもしれない。相方さんが産休中に、退職される人もいるかもしれない。
泣きながらも食いつき、看護師としての基礎を学ばせてもらった職場。
こうして、安定した生活を営むのに十分なお給料をくださった職場。
泣き虫の相方さんは、職場をあとにするとき、また泣いただろうな。僕も感謝でいっぱいだ。
とりあえず、昨日で一区切り。本当に頑張ったと思う。お義父さん、お義母さん、相方さんとお疲れさま会をしてきた。