今の時代って、特に工夫をしなくてもそれなりに生きていけますよね。
僕は昔の時代を知りませんが、健康でいられて、仕事ができれば生活をしていけます。
特段頭を働かせなくても人生やっていけるんです。
小学校に通って、中学校、高校、行く人は大学へって感じです。
安くてもおいしいものがそこらじゅうで食べられる、月数千円払えは十分な通信環境がある、月数万円払えば清潔な家に住める、綺麗な服を購入できる。
そして何より平和。戦争などで怯える必要がない。
こんな素晴らしい時代に生まれておきながら、本当に贅沢だなって思うんですけど、なんとなく将来に対して不安があるんです。
おいしいものを食べて、排泄して、睡眠をとって、入浴して、それなりに娯楽を楽しんで、「また仕事が始まった」と思いながら月曜日を迎えて週末を待ちわびながら仕事をする。
この繰り返しで良いんだろうか。淡々と惰性で毎日を過ごしてしまって良いんだろうか。
真面目かっ!って言われそうですけど、仕事を始めてからというもの、そんなことを考えることが多くなりました。
毎日はそれなりに充実したものになっていますし、特に不満なものがない。
確かに幸せな状態ではあるんですが、本当にこのままで良いんだろうかっていう感じの気持ちです。
このまま人生という海にぷかぷかと浮かびながら、過ごすのも悪くないですが、やはり人生を終えるときには「やりきった。我が人生に思い残すことなし」っていう気持ちでこの世を去りたい。
カッコよく四字熟語で表すなら光風霽月(こうふうせいげつ)といったところでしょうか。意味は心がさっぱりと澄み切ってわだかまりがなく、さわやかなことだそうです。
今の生活を積み上げていったとして、燃焼感を持った最後を迎えられるのか?燃焼できるのか?自分の使命とはなんなのか?
まだ20代なのにそんなこと考えているのかよって感じですけど、意外にあっという間な気がして。
そして我が人生生き切ったという実感を得るためにはやはり自分のことだけではなく、誰かの役に立ってこそだと思います。
そのためには準備期間が必要なんですね。30代までには自分の生きる道を決めて突き進みたい。
何も計画しなくても人生やっていけますし、計画を立てたからといって計画通りにいかないことの方が多いです。
それでも計画はあった方が良いんじゃないかなって思うんです。計画というは自分の理想ですね。
良い建築物も良い設計があってこそですし、山登りも明確なゴールがあって、達成に必要なルートを選びます。
ゴール付近になって、「ああ、俺が来たかったところじゃなかった」って悲し過ぎます。
だから「俺はこんな人間になりたい」とか、「こんなことをしてみたい」という大まかな理想を立てておいて損はないんじゃないかなって。
堅い話はここまでにしておきましょう。
人生を惰性で過ごすことなく、燃焼したいですねって話でした。
それでは、また。