たまたまつけたテレビで放映されていた脱北者の話が壮絶だった。

先日、夕飯後にテレビをつけたら脱北した男性が紹介されていた。

番組名は確か、関ジャニ∞『ありえへん∞世界 北朝鮮から6年かけ脱北全記録』。

出演していたのは「脱北者が語る北朝鮮」というチャンネル名で、現在12万人のチャンネル登録者がいるキム・ヨセフさんという男性だ。

同じ時代を生きている人間なのだろうか

キム・ヨセフ氏のエピソードが同じ時代を生きている人とは思えないほど壮絶だった。

妻と一緒に番組を見ていたのだが、日本がどれほど恵まれた環境なのかを再認識した。

彼のプロフィールはこうだ。

キム・ヨセフ氏

・1985年、朝鮮民主主義人民共和国の北東部・咸鏡南道に生まれる。

・10歳のときに母、姉3人と死別、父と離別。小学校をやめ、弟と路上生活を始める。

・11歳で弟と生き別れ、祖父母の家に身を寄せる。

・18歳で一度目の脱北を試みるも失敗し、白頭山のふもとにある留置所に送られる。

・23歳で二度目の脱北を試み、豆満江を越え中国へ。ベトナム、カンボジアを経て24歳で韓国へ入国。

・28歳で日本に語学留学し、大学を卒業したのちに会社員の仕事のかたわら、YouTubeチャンネル『脱北者が語る北朝鮮』を開設。北朝鮮に関する動画を発信し続けている。

食べ物に困らないことと自由がある幸せ

特に印象的だったのが、兄弟の餓死と脱北までの不自由さ。

盗みをしなければ生きていけない環境

10歳で父親と離別してから、日々食べ物を盗んでこなければならなかったそうだが、毎日安定して食事にありつけるわけではない。自分が食べていくので精一杯で、兄弟に構っていられない時もある。それは大人だって例外では無い。

11歳のとき、祖父母からこう言われたそうだ。

「2人(キムヨセフ氏と弟)のうち、どちらかだったら面倒見れるよ」

弟の方が食べ物を盗むのが上手かったため、キム・ヨセフ氏が引き取られることになった。

「春になったら野菜がたくさん採れるから、また会おう」と別れ際に約束したそうだが、それっきり会うことはなかったのだという。

北朝鮮の極寒の冬を、幼い弟が屋外過ごし切れるわけがなかった。

脱北は親戚まで処刑される重罪

北朝鮮で脱北するということは国への反逆とされている。

特に敵対する韓国へ行くことは親戚まで処刑される重罪。

だから皆、中国→ベトナム→カンボジア→韓国ルートで脱北するらしいのだが、それぞれの国境に監視官がいる。

脱北者の多くはブローカーを雇い、監視官には賄賂を渡し、特定の時間だけ監視を解いてもらうのだとか。

良いブローカーを雇えれば通常は100万円ほどで脱北できるが、なかにはお金だけもらってしまうブローカーがいたりする。キム・ヨセフ氏は脱北までに1000万円を使った。

携帯などない。情報が制限されまくったなかでの脱北はさぞかし怖かっただろう。

恵まれていない国があるから、恵まれている国が成立する

今の時代でもこんな世界があるんだなぁ。

北朝鮮って放映されているのは華々しい部分だけで、庶民の生活は悲惨と聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。日本の昭和の頃の方がまだ発展していたのではと感じるほど。

キムヨセフ氏は最後に「日本人は自分の国が恵まれていることに気づいていない人が多くて残念だ」といった内容の発言をされていた。

確かになぁ。

先進国とばかり比較し消耗していないだろうか

優劣は比較で決まる。キムヨセフ氏は北朝鮮と日本を比較しているから、強く実感していることだろう。

日本は留学に行くとしてもアメリカやヨーロッパの先進国に行くことが多いから、逆に劣等感を感じることが多いだろう。

国の色々な調査もそういった国々が比較対象で、「日本は既に先進国ではなない、失った30年」などという報道ばかりだ。

上と比較し、悲観してばかり。

一方で北朝鮮のような国と日本を比較したら天国のように感じるかもしれない。

物事の悲観的側面しか見ることができないのは情報が偏っているから。

視野を広げ、バランスよく情報を収集することで恵まれている事実も感じ取っていきたいなぁ。

少なくとも国から逃げたいと思ったことがない時点で、恵まれていると認識した方が良いのだろうな。

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