大学教授が語る 日本人学生と外国人学生のここが違う!

 大学では色んな国の学生がいます。

 アジア系やヨーロッパ系などをはじめ、高校時代には関わることのなかった人たちと出会います。

 国が違えば文化も違うように色んな価値観に触れることができるのが大学です。

 でもなんか不思議だと思いませんか?

 大きい小さいはあるにせよ、体の形はほとんどないのに考え方が国によって結構違うんですよ。

 

 僕は大学時代に教授から日本人学生と外国人学生の面白い違いを聞き、国民性が出てるなーと思ったことがあります。

 その教授をここではA教授と呼ぶことにしましょう。

A教授の話を簡単にまとめるなら自分の気持ちを信じる外国人学生周囲と同じであることに納得する日本人学生といったところでしょうか。

 それぞれ詳しく解説していきます。

大学教授について

  • 文化人類学を専門。
  • カリフォルニアで数年日本人学生の生活支援を行う。
  • 英語が堪能。


日本人学生と外国人学生の違い

自分の感覚を信じる外国人

 外国人学生の多くは自分の感覚を信じ、自分が納得するかを判断基準にしているようです。

 こんなエピソードがあったそうです。

 留学先のカリフォルニアでの寮生活。部屋は現地で知り合った学生2~3名で1部屋。夜中、同部屋の人がうるさくて眠れないとき、外国人学生はこんな感じの対応をするそうです。

外国人学生

「A教授、同部屋の〇〇がうるさくて眠れません。部屋を変えてくれませんか?もしくは〇〇を違う部屋に移動してくれませんか?」

「そうか、でも部屋を変えるには時間がかかるからもう少し待ってくれないか?」

A教授

外国人学生

「そんなに長くは待てません。できるだけ早く変えてください」

 こんな感じで自分が困っていること、相手にどんな行動をして欲しいのかをはっきり伝えてきます。相手がどう感じるかではなく、自分が不快に感じるかどうかが基準となっています。

周囲と同じかどうかを気にする日本人学生

 先ほどと同じような場面が日本人学生にもあったようです。

 そのときのやりとりはこんな感じだったようです。

日本人学生

「同部屋の〇〇がうるさいんですけど、これって海外では普通なんですか?」

「まあ、よくあることだね」

A教授

日本人学生

「そうですか・・・わかりました」

 本当は同部屋の人がうるさいから何とかしたいと思ってA教授に相談にいったはずなのに、普通であるとわかった瞬間納得して帰っていったのです。

 自分がどう感じるかが判断基準ではなく、周囲と同じか変わっているかどうかなのです。

 もしA教授が「それは異常だね、さすがにアメリカでもあんまりないことだよ」と言ったら、日本人学生は「そうなんですね。だったら部屋変えてもらっても良いですか」ってなったかもしれません。

日本人が価値を感じること

周囲と同じであること

 サンプル数が少なくて先ほどの例だけで「日本人は〜」とか、「外国人は〜」と決めつけるのは良くないかもしれません。

 ですが、先ほどの学生の例でも、日常生活でもなんとなく感じることがあるかと多いますが、日本人は周囲と同じであることに価値を感じる民族みたいです。

 周囲と比べて、優れているか劣っているかで自分の位置を探ります。

個人の主張はできるだけ我慢する

 自己主張はなるべく避ける。 

 相手との和を尊重し、自分がいやだと感じていることでも多少自分が我慢をすればいいやと考える傾向があるのでしょう。

 良いとか悪いとかではありません。

 長年生活するなかで身についてきた価値観ということです。

察すること

 相手が意見を言う前に「こんなことを感じているんじゃないか」と察して事前に動く。

 逆に自分が何かをお願いするときも、なるべくはっきり主張するのではなく、相手が感じとってくれるんじゃないかと期待しますよね。

 「空気を読む」、「忖度」なんて言葉もあるくらいです。

 空気に人一倍敏感な民族ということもできるでしょう。

学生の例から学べること

自分の身を守るために身についた価値観

 これはあくまで僕の予想に過ぎません。 

 日本は島国です。世界的に見れば面積も小さいです。昔は飛行機もなかったですから、島国の外に出るもの命がけです。

 そんな狭い島国のなかで他人から嫌われてしまえば、生きていくのが一気に大変になります。だからこそ人から嫌われないように、周囲から浮かないように気をつけてきた結果、空気を敏感に把握する能力が身についたのでしょう。

 一方外国は大陸続きなので、自由に移動できたんじゃないでしょうか。だから隣人に嫌われたら逃げれば良い。その分自分が不快だと感じたことをはっきり主張して改善できないか考えてみる。もしダメだったら逃げる。

 こんな感じの思考なんじゃないでしょうか。勝手な予想ですが。

我慢はほどほどに

 他人とトラブルが起きないように我慢するのは大事なことかもしれません。

 ですが、我慢をし過ぎて自分を壊してしまっては仕方ありません。

 先ほど学生は我慢をし過ぎて寝不足になってしまったり、せっかくの留学で勉強できなかったりしていてはもったいないです。

 思い切って伝えてみることも大事かもしれません。

主張は自分が感じていること+相手にとって欲しい行動の提案

 主張するって案外難しいですよね。

 もし先ほどの学生の例で考えるなら、外国人学生は相手にどんな行動をして欲しいか説明していましたが、日本人学生はしていませんでした。

 日本人学生の方が優れていることがあれば、外国人学生が優れていることもあります。伝えるということに関しては外国人の方がうまいことがあるので、素直に学んでみましょう。

 シンプルです。

 自分が感じていること+相手にとって欲しい行動を伝えるだけです。

 相手には受け入れる権利も断る権利もあります。どんな回答が来るかはコントロールできません。

まとめ

 日本人の周囲と同じかどうかで価値を決めることが多いため、ついつい物事の判断基準が他人との比較で決めてしまうことがあります。

 和を重んじる民族ということ自体は良いかもしれませんが、いきすぎると自分の心が疲れてきてしまったり、何かに挑戦してみようと思えなくなってしまう可能性もあります。

 和を重んじる日本人の良さも残しつつ、外国人の伝え上手なところもうまく取り入れられたら良いなって感じます。

 それでは、また。

 

 

 

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